供養とは
私達は、供物を供えお線香を立て祈ることを一般的に供養と言っていますが、はたしてそうでしょうか。
広辞苑で「供養」という言葉を調べてみると次のように記されています。
「三宝(仏・法・僧)または死者の霊に諸物を供え回向すること。敬・行・利の供養、仏・法・僧供養などの種類がある」
この説明からみると供養とは三宝に供物を具え「回向」することだとわかります。
さて回向とはなんでしょうか
広辞苑から調べると「回向(えこう)」とは、こう書かれています。
「自分の修めた功徳を他にめぐらして、自他ともに仏果を成就しようと期する意」
ここで又、考えなければならないのは、「じぶんの修めた功徳」です。
功徳とはなんでしょうか
「功徳」について広辞苑には、こう書かれれています。
①「世のため、人のためにする、(道徳的なたは宗教的の)善い行い。」
②「善行の結果として与えられる神仏のめぐみ。ごりやく。
それでは、功徳はどうすれば得られるのでしょうか。
「功徳」について岩波の仏教辞典で調べてむると、「善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう、功徳を積むことによって解脱(げだつ)へ進むと考えられ、仏は無量の功徳を具えている。
仏さまの教え
大乗仏教では自ら積んだ功徳を他の人々にふりむけること(回向)が要請されています。
供養の本当の意味
功徳は、善い行いをすることによって、神仏から眼には見えないが、徳性が与えられると考えられます。この徳性を他に振り向けることによって、自分自身も他も(眼に映らない世界のものも含む)仏果を成就しようとす行為が供養の本当の意味になるのではないでしょうか。
ここで善い行いとは、どんな行いでしょうか。それは、あくまでも仏の教えを守り実践することにほかなりません。
大願寺ではこれらを踏まえて次の三つの供養を奨励しています。
一、仏さまの供養
二、先祖の供養
三、自分の供養
三番目の自分の供養について不思議に思うかもしれませんが、実は私たち自身の内に仏を宿しているのです。しかし、煩悩に覆われて本当の姿が見えないだけです。供養することによって、本来の光輝く仏の姿が現れてくるかも知れません。仏道を歩み功徳をめぐらして自分も他も利する人物になりましょう。
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