瞑想のすすめ

人は、なかなか頑固で他人の注意を受け止めようとしないものだ。注意すると逆に恨んで危害を加えるということも無きにしもあらずだ。
自分の目で自分を見ることはできない。鏡を通してはじめて自分の顔を映しだすことができるように自分の心は自分で知る余地もない。自分の考えは、人の考えを聞くことによって比較ができ、違いを認識できる。自分の考え、価値観等、回りの人を通じて比較しながら、認識でき、修正できるのではないだろうか。

しかし、自己中心で執着のひどいひとは、自分だけが正しいと錯覚しているから、人をののしり、不平不満が多く、自分の不徳のなすところをみんな人のせいにしてしまいがちだ。「人の振りを見て我が身を正せ」とよく言われたものだが、若い人達はどんな教育を受けているのだろう。お坊さんは自分を見つめる修行をする。「禅定」である。別のことばで言えば「瞑想」である。自分を映し出す鏡は仏さまです。

仏さまと向かい合って、自分をうつしだし、自分のよいところ、悪いところを一遍の曇りもなく知り尽くす。そしてありのままの自分を知り、執着をはなれる努力をする。

真言宗では「阿字観法」という瞑想を行っている。一日に少しでも瞑想をすると、心が落ち着くし、心に余裕ができて、ゆったりと落ち着いた生活ができるようになる。他人との間柄も平穏になってくる。

現代人は自己を見つめる余裕すらないのではないだろうか。是非瞑想によって自分自身を見つめなおしてほしい。ありのままの自分を知ることを「如実知自身」というが、何か新しい自分を発見できるかも知れません。