民間信仰の強い沖縄では、宗教に対するアレルギーが非常に強い。それでも葬儀はお坊さんに頼む。葬儀が終わればそれっきり、あとは民間信仰で行う。僧侶の話など、上の空で聞いている。仏の教えを説いてもなかなか受け止めてくれない。沖縄は人口当たり一番お寺の少ない県である。檀家制度はないので、お寺との結び付きは希薄だ。私は在家から僧侶になって14年、その前の宗教活動を含めると20年一生懸命布教に努めている。やっと安心してお寺の維持ができるようになった。これまでくるにはいろいろなことが起こり、危機を乗り越えてきた。最初は力み過ぎもあったが、いまは焦らずに教化育成に努めている。
最近少しずつお寺が増えてきた。浄土系が顕著だ。臨済宗も増えている。金峯山系の修験のお寺も増えている。お寺が増えれば、沖縄の宗教事情も変化して来るだろう。本土化していく中で仏教の教えも浸透していくだろう。まだまだ沖縄は独自の文化と思っているが、少なくとも先祖の供養はお坊さんが教えたものであること、お盆や、彼岸や、干支の守り本尊等仏教の教えであることに気づいてほしい。戒名をつけてもらったら、本位牌は戒名でかいてほしい。無知な年寄りに負けて俗名に戻さないように意味をしっかりお坊さんに聞いてもらいたい。沖縄の独特な先祖供養と言えば清明祭と十六日のぐそうの正月だろう。清明は24節のひとつであり、田植えの始まる時期の前に、墓の掃除をして楽しんだ中国人にならったものだ。沖縄ではお墓に親類縁者があつまりご馳走を食べる。それ以外はあまりお墓参りすることはない。十六日は閻魔大王の縁日で、この日は地獄の獄卒の責めがなく、罪人が開放されると言われている。俗に地獄の釜があくといわれる。
1月16日と7月16日にの2回あるが、離島では1月16日を盛大に祝う。7月はお盆と重なるのでやらない。
先祖が地獄にいると思うのは切ないものだ。
せめて浄土にと願うほうが安心が得られると思うがどうだろうか。